『日本三大名瀑』で日光修験道の最高パワースポット【華厳の滝】

栃木県の奥日光にある華厳の滝は、約2万年前に男体山の噴火で流れ出した溶岩が川を堰き止め、自然に創造された中禅寺湖の水が巨大な岩崖から一氣に落下する名瀑のことで、奈良時代後期に下野国(栃木県)出身で日光修験道の開祖である「勝道上人」が男体山(二荒山)を開山された際に発見されました。

男体山を始めとした日光三山は、古くから神がいる山として敬われ、男体山(新宮権現)・女峰山(滝尾権現)・太郎山(本宮権現)を日光三所権現として、神仏習合から「大己貴命(饒速日命)=十一面千手観音=大黒天」「田心姫(瀬織津姫)=阿弥陀如来=大弁財天女」「味耜高彦根命(迦毛大御神)=馬頭観音=毘沙門天」を本地仏(本来の仏の姿)で表した、日光修験道の関東随一の霊場(パワースポット)とされてきました。

日光修験道の行場として扱われた「日光48滝」や「日光72滝」、小さなものを含めると100以上もある日光の滝を代表する『日光三名瀑(華厳ノ滝・裏見ノ滝・霧降ノ滝)』や『奥日光三名瀑(華厳ノ滝・竜頭ノ滝・湯滝)』の中でも最も重要な「一ノ瀧」と呼ばれ、現在は『日本三大名瀑(華厳の滝、那智の滝、袋田の滝)』の一つにも選ばれています。

日光修験道の最高パワースポット

日光修験道の最高パワースポット
華厳の滝がある日光山一帯は、光の導きの神である八咫烏(賀茂建角身命・地祇系賀茂氏)の血統を継ぐ神仙「役小角(えんのおづの)」が創始した修験道の流れを汲む日光修験道の開祖「勝道上人」が、766年に弟子とともに男体山の麓に四本龍寺(紫雲立寺)を建設して、ここを拠点として霊峰男体山(二荒山)へ挑戦し、十七年の幾多の苦難を乗り越えて頂上に到達し、男体山登拝口近くに補陀落山中禅寺(現在の二荒山神社中宮祠)を創設しました。

この補陀落山(ふだらくさん)中禅寺から男体山を二荒山(ふたらさん)に訛って呼び変わり、820年に縄文系(月)の蝦夷(佐伯部)と太陽の神格を持つ饒速日命の直系(阿刀氏)の両方の血統を受け継ぐ大聖「弘法大師・空海」が二荒山に来山し、女峰山に滝尾権現(瀬織津姫)を祀った際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字と、万物を総該した無限宇宙の全一である「大日如来」の光が照らされるように、この地を日光という名にしたと伝承されています。

その後の848年に下野国(栃木県)出身で日光山霊峰に対しての崇敬の念が厚く、金龍が守護する東京を代表する観光スポットの「浅草寺」と深い縁がある慈覚大師「円仁」が巡錫(じゅんじゃく)し、鎌倉時代には鎌倉初代将軍「源頼朝」を始めとする源氏達の信仰を集め、日光山を関東の護りとするなど、山岳信仰や滝籠り修行の正統な霊場として日光山修験や密教などで盛んになりました。

江戸時代からは日光山第53世貫主でもある「慈眼大使・天海」によって山王一実神道の下で東照大権現(徳川家康)が「日光東照宮」に祀られ、日本全土を護る平和の神として260年以上という世界的にも長期の平和を維持しましたが、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響で日光山は「東照宮」「二荒山神社」「満願寺」に分けさせられ、修験道や密教なども大幅に抑圧されてしまいましたが、昭和時代に東武日光線が開通してからは、華厳滝エレベーターの開業や48音のカーブ「いろは坂」の開通などで、関東の一大観光スポットとして賑わいを取り戻し始めています。

日本三大名瀑で日本三大神滝【華厳の滝】

日本三大名瀑で日本三大神滝【華厳の滝】
華厳の滝は日本三大名瀑(華厳の滝、那智の滝、袋田の滝)と日本三大神滝(那智の滝、華厳の滝、布引の滝)の両方に選ばれた滝で、落差が97mで、上部で幅が約10m、滝壺の深さは約20mあり、中禅寺湖から大尻川(大谷川)を流れ通り出た毎秒3tの水が一氣に落下する「日光五大名瀑を代表する滝」です。

華厳の滝という名は、発見当初は「江尻滝」と呼ばれ、干ばつの際には雨乞いの祈祷の場として重宝されていましたが、後に経典『華厳経(けごんきょう)』が由来で名が変わったのが定説になってますが、820年に弘法大師「空海」の弟子である真済(しんぜい)が建てられた「法華密厳寺」が華厳寺だとされ、その寺の近くにあったことから「華厳滝」と呼ぶようになった説と『日光山堂社建立記』には、春に滝の岩上にヤシオツツジが茂り、華麗に滝を飾っている表現から名付けられたとも云われています。

滝上にある華厳滝展望台から無料で華厳の滝を見下ろすことができますが、華厳滝エレベーターを使えば、正面からより華麗で荘厳さを感じ取ることができますので、エレベーター(有料)を利用して正面から眺めることをお勧めします。

滝を正面から眺める【華厳滝エレベーター】

華厳滝エレベーター
華厳滝エレベーターは、往復の料金が大人(中学生以上)600円、小学生400円で、幼児(小学生未満)は無料で利用できて、30名程が乗れる2基のエレベーターで1分程降り、トンネルを抜けた先から「華厳の滝」を正面間近に見ることが出来ます。

華厳の滝は8世紀後半に日光修験道の開祖「勝道上人」が発見されましたが、『日光山志』には、江戸時代までは「滝見物は容易ではなく、はるか手前の断崖に突き出た岩上まで、危険な岩場を這い下り、木にしがみついて上から眺めていた」という記録が残っていて、安易に正面からは見ることができませんでしたが、1900年(明治33年)に星野五郎平が、7年もの歳月をかけて滝壺近くに茶屋を開いたことで、初めて滝を間近で眺められるようになったとされています。

その後1930年(昭和5年)から華厳滝エレベーターが開業し、一時は岩盤が落下する事故などもありましたが、後に「華厳滝観瀑台」まで安定して行くことが可能になり、現在は華厳滝エレベーターで100m下を片道1分で降りて、華麗で迫力満点の滝つぼを正面から眺められるようになりました。

神秘さと迫力を感じる【華厳滝観瀑台】

神秘さと迫力を感じる【華厳滝観瀑台】
3階建ての華厳滝観瀑台からは、「十二滝」という糸のような小さな滝が囲むように流れていて、安山岩と集塊岩の四層には「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と呼ばれる巨大な溶岩壁が広がってますが、柱状節理とは、男体山の噴火で流出した溶岩が、風や水などで冷えて固まり形成された「五角形」や「六角形」などの多角柱のことで、天然記念物にもなっている荘厳な岩壁と滝との融和した絶景が「華厳の滝」の神秘さや迫力をより高めています。

那智の滝」などと共に『世界百名瀑』にも選ばれてる華厳滝は、1986年に滝の落ち口にある岩が大規模に崩壊したことで景観が若干変わってしまったこともあり、現在は上流にある中禅寺ダムによって水量が調節されていますが、冬は水量が少なめで、夏が最も多く、台風などの後は最大で毎秒90t以上にもなり、風が強い日は水しぶきが観瀑台まで届く程の迫力で、運(ツキ)が良ければ、カモシカ等の動物、ヤシオツツジ等の花、イワツバメやオオルリ等の鳥も見ることができて、晴天の日に太陽の光が差し込むと、綺麗な虹がかかる絶景も見ることができます。

華厳滝観瀑台の1階には華厳の滝限定の商品が購入できるお土産屋があり、観瀑台の外階段から下側を覗いて見ると、華厳滝と十二滝が合流して流れ落ちた先に「涅槃(ねはん)の滝」と呼ばれる滝があり、エレベーターを乗って来なければ眺められない落差が20mの直瀑で、無限に繰り返す「死と再生」の輪廻から解放された状態を示した名が刻まれています。

冬限定の氷瀑の自然美【ブルーアイス】

冬限定の氷瀑の自然美【ブルーアイス】
華厳の滝は冬の季節限定で、ブルーアイスと呼ばれる白龍のような自然の雪化粧が美しい氷瀑も見ることができ、華厳滝の氷瀑が見れる時期は「毎年1月の下旬~2月の上旬」とされ、水量が少なくなった滝が完全に凍った姿を見るには、早朝の時間帯で気温が特に冷え込む日という条件が必要になります。

また光があれば闇もあり、明治維新による徳川政権の崩壊と神仏分離・廃仏毀釈で修験道と陰陽道は徹底的に弾圧され、日本を護っていた侍もいなくなった世のせいか、日本全体に負のエネルギーや悪霊が跋扈し、明治36年には、エリート高校生の藤村操が『巌頭之感(がんとうのかん)』という遺書を残して、華厳滝から飛び降りる悲劇的な事件が起きました。

その後数年のうちに藤村に追随する者が相次ぎ、その影響で日光の大切な聖地が貶められるように、心霊スポットという悪評が立ってしまいましたが、昭和41年にエレベーターのトンネル通路に石碑が立ち「華厳の岩頭の露と散った幾多の霊に対し心から冥福を祈って此処にこの像を捧ぐ」と幾多の霊の成仏のためと二度とこのような悲劇的な事件が起きないようにメッセージが刻まれています。

華厳滝の根源水【中禅寺湖】

華厳滝の根源水【中禅寺湖】
華厳滝の根源水である中禅寺湖は、奈良時代後期に日光修験道の開祖「勝道上人」が男体山(二荒山)登頂時に発見され、湖上から「十一面千手観音」を感応した際に、その姿を桂の立木に手彫りし、名前の由縁でもあるご本尊として「中禅寺(立木観音)」に祀られましたが、明治以降からは日光修験道や密教の痕跡は消されてしまい衰退しています。

その後の日光の歴史には、明治35年に武器商人であるトーマス・グラバーが中禅寺湖に川鱒を放流した年、日光は歴史に残る程の大災害に見舞われ、足尾台風によって大谷川が崩壊した影響で神橋や大谷橋が流失し、貴重な文化財や「滝尾神社」の社殿が白糸の滝まで流される等の多くの死者や行方不明者が出る大惨事になりましたが、負の連鎖が続くように翌年の明治36年に高校生の藤村操が華厳滝から飛び降りる悲劇も続きました。

現在は残念ながら幕末・明治から続いている文明の悟りを開き損なってしまった西洋の悪霊に操られて、謀略の限りを尽くす悪鬼が荒れ狂う末法の世となってしまいましたが、今後の未来は一人一人が事実から眼をそらさず、タブーを乗り越えた生き方と責務を果たさないと、更なる謀略や大災害と悲劇の連鎖が続く暗黒の時代になりかねません。

山と湖と瀧が織りなす絶景【明智平展望台】

山と湖と瀧が織りなす絶景【明智平展望台】
明智平展望台は、上り専用の第二「いろは坂」の終点近くにある駐車場から、3分程ロープウェイで上がることで眺望できる「山」と「湖」と「瀧」が織りなす絶景が日光で一番と呼ばれる展望台で、標高1373mから「男体山(二荒山)」「中禅寺湖」「華厳滝」を中心に、背後を飾る日光連山や第一「いろは坂」等を展望台から全て一望することができ、最も人気がある例年の紅葉シーズンの「10月中旬~11月上旬」が最大の見頃の時期になっています。

明智平という地名は、数え年108歳で大往生を遂げた、徳川家康、秀忠、家光と徳川三代に渡り導いた「慈眼大使・天海」によって名付けられ、徳川264年の礎を築いた徳川家康を「日光東照宮」の中心に歓請(かんじょう)された黒衣の宰相で、日光山の第53世貫主でもある「天海」によって完成された明智平は、春と夏は新緑の風景が美しく、秋には紅葉の名所、冬は氷瀑の自然美と、春夏秋冬いつ来ても季節の彩を五感で感じられる絶景スポットとして人気があります。

『世界遺産』でもある「日光東照宮」の主祭神には、日本全土の平和の神である「東照大権現(徳川家康)」左右の配祀神として左神に「山王神(豊臣秀吉)」右神に「摩多羅神(源頼朝・織田信長)」が祀られ、後ろの天空には全宇宙の中心である北極星(天之御中主神)を守護神にして、未来への希望が明るくて自然に笑顔が溢れ、全世界が平和で自分の使命を果たす「弥勒(369)の時代」と成るように願いが込められています。

旅行の達人の観光ガイド

華厳の滝の観光所要時間は「1時間以内」で楽しむことができるので、観光に時間がない人にもオススメのスポットです。

明智平展望台に行くための明智平ロープウェイの最寄り駅である「明智平バス停」は、日光駅から上り専用の第2「いろは坂」の近くにあるため、華厳の滝のある奥日光側から行く場合は、下り専用の第1「いろは坂」を通って大きく遠回りになってしまうので、日光駅から「明智平展望台」と「華厳の滝」の両方に行く予定の方は、先に明智平バス停で降りて「明智平展望台」から観光するのをお勧めします。

日光エリアの鉄道とバスが一日乗り放題の「まるごと日光 東武フリーパス」も販売していて、明智平ロープウェイは、往復の料金が大人(中学生以上)1000円、小学生500円で、幼児(小学生未満)は無料で利用できて、ロープウェイを利用した方は、有料の駐車場料金が無料になる券がもらえます。

近場にある他の観光スポットは、華厳の滝から「徒歩6分」の場所にある、2023年3月にリニューアルオープンした、最新のデジタル技術を通して日光の自然と歴史を分かりやすく学べる「日光自然博物館」や、中禅寺湖の周辺には、十一面千手観世音菩薩がご本尊である「中禅寺(立木観音)」や「二荒山神社中宮祠」、岩で二つに分かれてる瀧の「竜頭ノ滝」など、一日では全て回れない程の多くの観光スポットで充実しています。

華厳の滝の観光情報

スポット名】華厳滝エレベーター
住所栃木県日光市中宮祠
電話番号】0288-55-0030(華厳滝エレベーター)
交通アクセス
■JR東武日光駅より東武バスで40分
(東武バス、中禅寺温泉行きで約40分の「中禅寺温泉」バス停下車から徒歩5分)
【料金】エレベーター往復
大人(中学生以上)600円、小学生400円、幼児(小学生未満)無料
営業時間
3月~11月 8:00~17:00
12月~2月 9:00~16:30
(季節や気象状況によりにより変動します)
ホームページ公式サイト

華厳の滝の地図情報

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