
滋賀県にある日本一大きい湖で『世界三大古代湖』でもある「琵琶湖」は、約440万年前の太古に生まれた古代湖で、琵琶湖の周辺には、歴史ある有名な聖地が立ち並び、現在は京都・大阪・神戸の京阪神圏の1400万人を支える重要な要でもあり『日本を代表する水の聖地』として太古の昔から現在まで脈々と受け継がれてきました。
日本最大の琵琶湖の北側に浮かぶ「竹生島」は、役小角・行基・最澄・空海・円仁などの名立たる高僧達が修行したとされる霊場(パワースポット)で、戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、浅井長政などの武将達の加護を受けて栄えた神域ともされ、現在は『日本三大弁才天(竹生島・厳島・江ノ島)』や『五大弁才天(天河大弁財天社・金華山・竹生島・厳島・江ノ島)』の一つにも選ばれています。
世界三大古代湖で日本最大の湖【琵琶湖】
『世界三大古代湖』の琵琶湖は、約440万年前に生まれた世界で20個しかない100万年以上存在する世界有数の古代湖の一つで、ロシアにあるバイカル湖やアフリカのタンガニーカ湖に次いで「世界で三番目に古い湖」として生まれ、古くには「淡海(あわうみ・おうみ)」や都から近い淡水の海として「近淡海(ちかつおうみ)」とも呼ばれ、約100万年~40万年前に形成され、旧石器時代の末期頃に現在の場所に維持されました。
鈴鹿山地・伊吹山地・甲賀山地・野坂山地・比良山地といった霊山を含む山々に囲まれた盆地状の構造に位置してる琵琶湖には、約450本の流入河川の浄化された水が集められ、琵琶湖の海底には90を超える「湖底遺跡」も発見され、「葛籠尾崎湖底遺跡(つづらおざきこていいせき)」には、縄文時代初期から平安時代末期までの土器が出土されて、縄文時代後期には、琵琶湖で舟の航海をしていたことを証明する「丸木舟」が使用されていたことも判明しています。
現在の琵琶湖の総面積は、東京23区や大阪市よりも広い約670平方キロメートルもある日本一大きい湖で、滋賀県の中で6分の1の面積を誇り、貯水量も275億トンもある日本最大の湖で、琵琶湖の中には、セタシジミやビワマスなど60種以上の固有種や、フナ、マス、コアユ、エビなどの魚介類も生息していて、地元の滋賀県民の方々からは、豊かや恵みを与えてくれる「マザーレイク(母なる湖)」の愛称や、近畿圏を支える重要な水源でもある「近畿の水瓶(みずがめ)」の名称で知られています。
琵琶湖の南側の周辺には、「比叡山」「近江神宮」「清水寺」などの有名な聖地から、京都最古の神社の一つで、京都のお伊勢さんとも呼ばれる「日向大神宮」や東京最強パワースポットの「高尾山薬王院fa-external-link」と深い繋がりがある「醍醐寺」などの歴史ある社寺も立並び、『火属性最強のパワースポット』で垂直(縦)方向に日本一の高さを誇る「富士山」に対比する『水属性最強のパワースポット』で水平(横)方向に日本一の広さを誇る「琵琶湖」で表されて、琵琶湖の水は、瀬田川から宇治川や淀川を浄化されて通りながら大阪湾に流れ出て、淡路島と鳴門市を挟む鳴門海峡にある『世界三大潮流』で世界一大きい渦潮をガラス越しに展望できる「鳴門の渦の道fa-external-link」のある海にも繋がってます。
日本一の琵琶湖に浮かぶパワースポット【竹生島】
日本一大きい琵琶湖の北側に浮かぶ「竹生島(ちくぶしま)」は、別名で江島・都布夫島・筑扶島・智福島と記され、『近江国風土記』によれば、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命(1337m)が、姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井比売命(1317m)と高さを競い、負けた多多美比古命が浅井比売命の首を落したところ、首が湖に落ちて江島(竹生島)となったとされ、『竹生島縁起』には、首が湖に沈むとき「都布都布」と音を立てて泡が生じ、その泡が凝り固まって島が出来たので、「都布失島」の名が付いたと記されています。
竹生島の名の由来は、島に沢山の鳥たちが群れ集まり種を落として様々な草木が生えるようになったが、最初に生えたのが「竹篠」であったので「竹生島」の字を宛てた説と、神変大菩薩の諡号を持つ「役行者(えんのぎょうじゃ)」が島にある岩窟で修行中に弁才天の霊験を得て、持っていた竹杖を地に立て、「もしこの地、仏法興隆の地なればこの竹成長すべし」と祈願したところ、竹杖はたちまち二股に割れ枝葉を生じた。これに感激した行者は、他に類のないいみじき弁才天の霊場として、岩窟のほとりにその不思議な竹杖を挿し残した伝承と、「行基(ぎょうき)」が来島して仏道修行の場としたとき、神に誓願して竹杖を立てたところ竹が繁茂したので「竹生島」と呼ぶようになったという複数の説があります。
また『承平縁起』によれば、日本の国土がまだ固まっていなかったとき、「大己貴命」と「久延産命」は龍神に命じて、国土を五つの神杭に結び、この五つの神杭とは富士山・金華山・竹生島・厳島・江ノ島であったと云われ、竹生島は日本の「ヒノモトツノクニ(霊之本津国、霊の元つ国)」の根源の一つであったという伝承が、後に富士山を天河大弁財天社に変えた『五大弁才天(天河大弁財天社(琵琶山白飯寺)・金華山・竹生島・厳島・江ノ島)』の神域で知られて、竹生島には、過去から高僧達が修行した霊場(パワースポット)で、現在も『日本三大弁才天』の一つとして大切に護られています。
竹生島への交通アクセス【琵琶湖汽船】
竹生島への交通アクセスは、「長浜港」「今津港」「彦根港」の3つの港からの定期便での交通手段のみで、「長浜港」から往復の乗船料が「大人3400円・小学生1700円」 島までの所要時間は、約35分で「今津港」から往復の乗船料が「大人3000円・小学生1500円」島までの所要時間は、約25分で「彦根港」から往復の乗船料が「大人3200円・小学生1600円」島までの所要時間は、約40分となっています。
竹生島の拝観料は、大人(中学生以上)600円、小学生300円で、「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」の両方を共通で拝観することができます。
(入口の前にある土産物店や飲食店は、拝観料を払わずに無料で入店できます)
竹生島は、長浜市の沖合にある大きさが周囲2キロで、島全体が花崗岩の一枚岩からなる小島で、2016年に『日本遺産』にも登録された島内には、『日本三大弁才天』の筆頭の一つに選ばれてる「宝厳寺(ほうごんじ)」や「都久夫須麻(竹生島)神社」、かわらけ投げができる「龍神拝所」など、水神が住むとされる神秘の湖の上にあり、古くから人々の信仰を集めてきた寺と神社が共存する神の斎(いつ)く島です。
秘仏の大弁才天を祀る【宝厳寺の本堂】
入口から「宝厳寺」への参道でもある165段の急な石段の「祈りの階段」を上ると、西国三十三ヶ所巡礼をしたのと同じ霊験を得られるとされる「西国三十三ヶ所観世音奉安殿」や宝厳寺を開基する以前は竹生島には天狗が多く住んでいたのを行基が説き伏せて手伝わせたという伝承がある「行尋坊天狗堂」があり、更に進むと境内中央に「宝厳寺の本堂」が鎮座して、本堂横の奥には三龍善神である潤徳護法善神・福壽白如善神・徳澤惟馨善神が祀られた「三龍堂」もあります。
宝厳寺(ほうごんじ)の本堂は、『宝厳寺の寺伝』によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇の夢枕に立った天照皇大神が「江州(近江国の別称)の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりとされています。
また、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりとも記され、天平勝宝5年(753年)に浅井直馬養が「千手観音」を宝厳寺の観音堂に安置して以来、天皇の行幸が続いたとされ、平安時代には「伝教大師・最澄」「弘法大師・空海」「慈覚大師・円仁」などの名立たる高僧達もこの地を訪れて、修行の場としても発展してきました。
戦国時代には「織田信長」や「豊臣秀吉」などの武将達の加護を受けた神域として、江戸時代からも千手観音と大弁才天信仰の神の島として栄えましたが、明治元年に発布された「神仏分離令」により宝厳寺は廃寺の危機になりましたが全国の崇敬者の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すことになり、本堂のないまま仮安置の状態が長い間続きましたが、昭和17年(1942年)に現在の本堂が平安時代様式で再建されました。
『日本三大弁才天』で日本最古の弁才天
宝厳寺(弁才天堂)の弁才天は、「日本最古の弁才天」や「弁才天の発祥地」と称されてることから大弁才天と呼ばれて、一般的な弁才天は、琵琶を抱えた姿で音楽・芸能・金運・芸術の妙音天として知られてますが、宝厳寺の大弁才天は、八本の腕(臂)それぞれに弓、箭、刀、矛、斧、長杵、鉄輪、羂索を持ち、頭上に宇賀神をのせた姿で、多種多様な武具で煩悩を打ち払う力や、投げ縄で苦しむ衆生を救って正しい道へと導く役割も担っています。
辨財天座像の周囲に赤い弁天様のダルマが沢山ありますが、この「弁天様の幸せ願いダルマ」は、小さくて可愛い琵琶を持つ弁天様の「赤いダルマ」の中に、お願い事を書いた紙をダルマの中に収めて、宝厳寺の本堂に奉納すると願いが成就するとされ、本堂に奉納した際はダルマの代わりに「弁天様の幸せ願いダルマ」を模した小さなストラップ御守が頂けます。
琵琶湖に浮かぶ「竹生島」は、東京の「上野公園fa-external-link」の中にある不忍池に浮かぶ中之島の「辯天堂(弁天堂)」と深い繋がりがあることで知られ、寛永2年(1625年)に、徳川家康・秀忠・家光と徳川将軍を三代に渡って導いた「慈眼大師・天海」が上野に結界守護でも重要な「寛永寺」を作る際に、琵琶湖に浮かぶ「宝厳寺」を模して辯天堂が建立されました。
宝厳寺は別名で「弁才天堂」と呼ばれ、過去には本業寺(ほんごうじ)や竹生島観音とも呼ばれ、のちに竹生島大神宮寺と称してた時期もありましたが、現在は山号が巌金山で真言宗豊山派の「寶嚴寺」が正式名称で、竹生島宝厳寺の本堂(弁才天堂・竹生島神社)、厳島(大願寺・厳島神社fa-external-link)、江ノ島(金亀山与願寺・江島神社)の『日本三大弁才天』や大和国天川大神、近江国竹生島大神、安芸国厳島大神、相模国江島大神、陸前国黄金山大神である『五大弁才天』の一つにも選ばれ、本尊の「大弁才天像」は、秘仏のため原則的に60年に一度の公開で、次回の開帳は西暦2037年とされています。
浄化と再生の最強の仏【不動明王像】
大弁才天を祀る宝厳寺の本堂の手前に「不動明王像」と「竹生島流棒術発祥之地の石碑」がありますが、竹生島棒術とは、平安時代末期に初代である「難波平治光閑」が信仰していた竹生島の大弁財天から難波流長刀術を夢想奉得したとされ、この石碑は、流祖800年祭を記念して1997年に建立されました。
竹生島の大弁才天は、『田村草子』では、琵琶湖の竹生島の弁財天は田村丸と契りを結んだ「鈴鹿御前(すずかごぜん)」の化身ともされ、『鈴鹿草子』でも鈴鹿御前は竹生島弁財天として再誕している等、伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した女神・天女と縁が深いとされ、一説では鈴鹿御前は大祓詞に登場する重要な女神「瀬織津姫(セヲリツヒメ)」や「瀬織津姫の称号を持つ女神」と同一視されています。
「不動明王(ふどうみょうおう)」は、大日如来(だいにちにょらい)の化身ともされ、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも不動の力で救うために、忿怒の姿をしている仏で、右手に降魔の剣、左手に羂索を持ち、火炎を背負う姿の五大明王の中心となる明王で、浄化と再生の最強の仏の「不動明王」と祓いと清めの最高の女神「瀬織津姫」の対比する火と水の二神で究極の一対ともされています。
金剛界大日如来坐像を安置する【三重塔】
不動明王像の近くにある階段を上ると、「もちの木」と「三重塔」が建っていて、樹齢約400年とされる「もちの木」は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の命を受けて、普請奉行・片桐且元(かつもと)が伏見城から観音堂や唐門等の移築をした際に自ら手植えしたとされ、竹生島で一番高い場所にある三重塔の前からは、琵琶湖の絶景や船が出入港する様子も眺望することができます。
1484年に建立された「三重塔」は、『渓嵐拾葉集』によれば「竹生島は大地の最も深い場所である金輪際から生え出た金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した時に座していた金剛座である。故に、この地の本来の地主権現は釈迦如来である」とされ、本来はお釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を模して建てられましたが、江戸時代初期に落雷で焼失してしまい、長い間空白期間がありましたが、2000年5月に当時の残されていた設計図を参考に古来の工法に基き6年の歳月をかけて約350年ぶりに新たに建築されました。
塔の高さは15.5mで、一辺は約3.2mの新たな三重の塔は、普段は扉が閉まり内部の公開はされていませんが、三重塔内の中心には黄金の「金剛界大日如来坐像(こんごうかいだいにちにょらいざぞう)」が安置され、中心を囲む四本柱には三十二体の天部の諸像が描かれ、四方の壁には真言八祖(龍猛菩薩(龍樹)、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、善無畏三蔵、一行阿闍梨、恵果和尚、弘法大師・空海)を配しており、各柱や長押には、繧繝彩色(うんげんさいしき)や牡丹唐草紋様が極彩色で描かれています。
竹生島の頂上の最奥に鎮座する【雨宝堂】
竹生島の頂上に位置する三重塔の右手後ろに、拝観料が別に必要ですが、国宝の法華経序品(竹生島経)や、重要文化財である弘法大師・空海の直筆御請来目録表をはじめとする貴重な宝物が収蔵されている「宝物殿」があり、竹生島の最奥には、雨宝童子(天照皇大神)を祀る「雨宝堂(雨宝童子堂)」が鎮座しています。
竹生島の最奥にある「雨宝堂」に祀られている「雨宝童子(うほうどうじ)」とは、神仏習合の両部神道における神で、天照皇大神(日向津姫)が、日向に下生した時の姿で、大日如来(だいにちにょらい)の化身とも称され、正式名は「金剛赤精善神雨宝童子」で赤精童子や石精童子とも呼ばれ、普段は扉が閉まっていて姿が拝めませんが、頭上に五輪塔を掲げ、右手に金剛宝棒を支え、左手に赤色宝珠を持ち、白装束を着用した女神の童子の姿で表されます。
雨宝童子は、大日如来や観音様の使者として地上に降臨して、地震などの災害や厄災の被害を最小限に抑える働きや、苦悩する人々を導いたり病気で苦しむ人を救済したりする一方で、素行の悪いものには容赦なく罰や警告のメッセージを与えるといった厳しさも同時に持ち合わせていて、これは雨や川や海などの自然の力が大いなる恵みや豊かさをを与えてくれる側面と、悪政の世が続いたり、自然の大切や感謝の心を忘れた時には、負のエネルギーの浄化や警告として大きな災害になってしまう竜神の神力としても表されています。
国宝の唐門と千手観音を祀る【観音堂】
国宝に指定されている「唐門」は、西国三十三ヶ所の札所の「観音堂」や「舟廊下(渡廊)」と共に、2013年から実施されていた檜皮屋根の全面葺き替え、彩色・漆塗りの塗り直し等の修復保存作業を実施して2020年春にリニューアル作業を完了して、桃山様式の美しい彫刻や鮮やかな文様が豪華絢爛な姿で新たに生まれ変わりました。
唐門は、慶長7年(1602年)に、豊臣秀吉の子である「豊臣秀頼」によって京都にある豊国廟の唐門(極楽門)を移築したもので、『大坂城図屏風』によれば、大坂城唯一の遺構である可能性の高い歴史的に重要な門で、随所に極彩色の彫刻や飾り金具の鍍金メッキなどの絢爛豪華な桃山様式を代表する国宝の唐門です。
西国三十三所観音霊場の第30番札所の「観音堂」は、本尊が千手観音で知られてますが、正式には「千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)」や「十一面千手千眼観音」で、十一面は、11の顔を持つ菩薩を表し、千眼は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つとされることに由来し、千本の手は、いかなる衆生も漏らさず見つけて救済しようとする観音様の慈悲の心と広大さを表していて、第30番札所の「千手観音像」は現在も秘仏とされ、宝厳寺本堂の大弁才天像と同じ原則的に60年に一度で、次回の開帳は西暦2037年とされています。
市杵島比売命を祀る【都久夫須麻(竹生島)神社】
観音堂から舟廊下を通ると「都久夫須麻(つくぶすま)神社」がありますが、別名で「竹生島神社」とも呼ばれる神社は、『惣国風土記』によれば雄略天皇3年(459年)に、山と水の神様でもある「浅井比売命(アサイヒメノミコト)」を祀る小祠が建てられたことが都久夫須麻(竹生島)神社の始まりとされています。
また、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝して、社前に「大己貴命(オオナムチノミコト)」と「天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)」を祀ったと伝承され、現在の都久夫須麻神社本殿では、主祭神に「市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)」別名で「竹生島大神」、「宇賀福神」「浅井比売命」「龍神(黒龍)」の四柱が祀られていて、都久夫須麻神社本殿の向かって左側には「大己貴命」と「天忍穂耳命」を祀った大己貴神社と天忍穂耳神社、右側には「厳島大神」と「江島大神」を祀った厳島江島神社が鎮座しています。
都久夫須麻神社の本殿は、唐門や観音堂と同期である慶長7年(1602年)に豊臣秀吉の子である「豊臣秀頼」によって、伏見城にあった勅使殿「日暮御殿」の一部を移築や寄進した歴史的にも価値のある国宝の本殿で、現在は内部が非公開となっていますが、桃山時代を代表する豪華絢爛な装飾が施されており、天井には狩野永徳光信が描いた華麗な花弁草木絵も残されています。
かわらけ投げが名物【竜王拝所】
都久夫須麻神社本殿の反対側には、琵琶湖の絶景を眺望できる「竜王拝所」があり、正式名称の「八大竜王拝所」の八大竜王とは、仏教を守護する八体の大龍王のことで、琵琶湖主の雨や水を司る神様(水神様)ともされ、「琵琶湖水神 竹生島竜王拝所」と書かれた扁額の下には、左右に宇宙万物の始まりと終わりを表す「阿吽(あうん)の龍」と、中心に赤い玉が祀られ、白龍が描かれた絵や右上には「龍神祝詞」が書かれた看板も設置されています。
竜王拝所の名物である「かわらけ投げ」は、厄除けなどの願いをかけて、高い場所から円盤状の土器の皿を投げるという古くから伝わる願掛けの一種で、都久夫須麻神社の本殿を参拝した後に、2枚セットになった「かわらけ」を購入して、かわらけ1枚目に自分の名前を2枚目に願い事を記入して、琵琶湖に突き出たところに建っている鳥居に向かって「かわらけ」を投げて、投げた「かわらけ」が鳥居(宮崎鳥居)をくぐれば願い事が成就するとされています。
竜王拝所の周辺には他にも、「白巳社」や「弁財天社」、湖より龍が昇ってくるとされる「神木」、八大龍王の一尊である黒龍大神と黒龍姫大神が祀られてる「黒龍堂」があり、白巳社には、弁才天の神使としての白蛇神である「白巳大神」が祀られ、左右には「阿吽(あうん)の白巳大神(白蛇神)」の像が一対で安置され、扁額には「白巳大神」看板には招福・招財の弁才天を表す枕詞でもある「金寶冨貴」と書かれ、江島神社と共に「金寶冨貴の聖地」とされています。
万物の根源を司る水源【瑞祥水】
宝厳寺と都久夫須麻神社の中心にある、めでたいことが起こるという前兆や幸福や繁栄を意味する「瑞祥(ずいしょう)水」は、2002年11月に「大弁才天」の御託宣により掘られた霊泉で、1987年から川鵜(カワウ)の異常繁殖によって緑樹は枯れはじめ山崖は崩れ、島全体が大きな被害を受け、加えて山からの湧水も枯れ果てて困ってた時に、「ここに井戸を掘れ」との大弁才天のお告げがあり、約1年間の困難な工事の末に、深さ230m(湖底下約130m)から託宣通りに清浄水が湧いた神秘的な泉です。
水は、ギリシャ最古の哲学者のタレスが語るように「万物の始原は水である」とされ、日本でも「生命の根源を司る産霊(ムスヒ)」や「天地の中に活動する生命の根源の息吹」の一つとされ、四大元素(火風水土)や五大要素(火風水土空)の中でも、多くの生命体にとって最も必要不可欠な元素として考えられてきました。
青い惑星と呼ばれる「地球」は表面の3分の2は水で覆われていて、人間の7割は水でできているように、太古の昔から水は万物創造の母とされ、過去の水神信仰から縄文土器に蛇が刻まれているように、「始原の原蛇(ウロボロス)」となり、やがて龍神や大地母神信仰として世界中に広がりましたが、再び日本を中心にして世界中の人達が「水」や自然に対する感謝や大切さを思い出した時に「新たな瑞祥の時代」が到来するのかもしれません。
旅行の達人の観光ガイド
竹生島の観光所要時間は、「1時間以内」で全部拝観することができますが、港から竹生島への往復での乗船時間を合わせると「3時間以上」の余裕が必要です。
竹生島の入口から直ぐにある165段の「祈りの階段」は、予想以上の急な石段になっていますので、足腰の悪い方は、事前の対策や注意が必要となっています。
多くの人が気づかずに分かりにくい場所にありますが、唐門・観音堂の前にある小さなお堂に、神変大菩薩の諡号を持つ「役行者(えんのぎょうじゃ)」が祀られた「神変大菩薩のお堂」と、厳島江島神社の横にある狭い通路の奥に「弘法大師・空海」が唐から帰国後の大同2年(807年)に竹生島に庵を創建し修行された「弘法大師庵跡」と「明星跡 弘法大師霊場」と刻まれた石碑があります。
琵琶湖周辺にある他の観光スポットは、琵琶湖八景に選ばれてる、彦根市のキャラクターの「ひこにゃん」が有名で国宝天守もある「彦根城」を筆頭に、世界有数の古代湖である琵琶湖がテーマの総合博物館である「滋賀県立琵琶湖博物館」や琵琶湖最大の島で、昭和レトロな雰囲気が各地で残るネコが多くいることで有名な「沖島」など、一日では全部行けない程の多くの観光スポットが点在しています。
竹生島の観光情報
【スポット名】竹生島
【住所】滋賀県長浜市早崎町
【電話番号】「竹生島宝厳寺」0749-63-4410
【交通アクセス】
■長浜港からの乗船料(往復)大人3400円・小学生1700円 島までの所要時間は、約35分
■今津港からの乗船料(往復)大人3000円・小学生1500円 島までの所要時間は、約25分
■彦根港からの乗船料(往復)大人3200円・小学生1600円 島までの所要時間は、約40分
【料金】「竹生島拝観料」大人600円、小学生300円(宝厳寺・都久夫須麻神社で共通)
【営業時間】
「竹生島宝厳寺」9:30~16:30(観光船就航時間に基づく)
「都久夫須麻(竹生島)神社」9:30~16:30(観光船就航時間に基づく)
【ホームページ】公式サイトfa-external-link