金龍が守護する『東京を代表する観光スポット』雷門【浅草寺】

浅草寺(せんそうじ)は創建628年(推古天皇36年)で東京都内では最も古い歴史を持ってる「都内最古の寺院」で、天下泰平の象徴、聖観音宗の総本山「浅草観音」として多くの信仰集め、国内のみならず世界各国から人気が絶えず「年間約3000万人超」もの参拝者が訪れる『東京を代表する観光スポット』の一つです。

857年には入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人である慈覚大師「円仁」が来山し、聖観音菩薩像を謹刻してご本尊の御前立とされ、1180年からは鎌倉初代将軍「源頼朝」、室町初代将軍「足利尊氏」、江戸初代将軍「徳川家康」と最強の称号を持つ歴代将軍や有名な武将達の畏敬を集めてきました。

1590年には徳川初代将軍「徳川家康」の強力なブレーンである慈眼大師「天海」の進言により、浅草寺は祈願所に定められ、300年近い平和が続いた江戸の町の鬼門を守護する要として寺領500石を寄進されるなど、歴代の徳川将軍家から篤い庇護を受けてきた、現在でも下町の古きよき伝統文化が残る仏閣です。

金龍が守護する浅草のシンボル【雷門】

金龍が守護する浅草のシンボル【雷門】
浅草寺の山号は「金龍山」ですが、『浅草寺縁起』によれば、観音さま示現の日に、一夜にして辺りに千株ほどの松が生じて、3日を過ぎると天から「金の鱗をもつ龍神」が松林の中に降臨したと記されていたことが金龍山の由来となっています。

浅草のシンボルの雷門は正式名称「風雷神門(ふうらいじんもん)」という総門で、門に向かって左手が雷を司る神の「雷神像」右手が風を司る神の「風神像」が安置され、風水害を除けて、五穀豊穣の祈りも込められています。

風雷神像の背後には浅草寺の護法善神である「金龍像(女神)」と「天龍像(男神)」が安置され、どちらも水を司る龍神様と深い繋がりがあるとされる『パワースポット』として、鎌倉時代から多くの人々や江戸・東京全体を見守ってきました。

雷門の赤い提灯に隠された龍神

雷門の赤い提灯に隠された龍神
雷門の赤い提灯には隠された秘密があり、赤い提灯を下から覗くと精巧に彫られた迫力ある「竜玉を持つ龍神の彫り物」を見ることが出来ますが、この隠された龍神は、東京浅草出身の木彫師である「渡邉崇雲(わたなべそううん)」氏が、『浅草寺縁起』の金龍が降臨したという逸話を元にして彫られました。

浅草寺は江戸城(現在は皇居)の丑寅(北東)の方角の鬼門を守護する寺院として有名ですが、他にも江戸・東京の結界守護で重要とされてるのが熊野神社で、実は浅草寺のある東京浅草周辺と熊野の本拠地である紀伊の和歌浦周辺は、吉原や神田など多くの地名が一致していることで知られています。

紀伊の熊野といえば「八咫烏(ヤタガラス)」と深い繋がりがある「那智の滝」や熊野三山で有名な場所で、一説では雷門、宝蔵門、観音堂の3つの赤い提灯に隠された龍神の正体は、神道の大祓詞にも登場する、レムリア・縄文の女神「瀬織津姫(セオリツヒメ)」と推察されています。

龍神の神力は使い方次第では、恵みにも災いにもなりますが、江戸時代では木造建築が多く建物が密集していて、火事が起きた時に火が広い範囲に渡ってしまうことから、水の神様で雨を降らせて家などを護る「雨降らしの龍神様」として江戸時代から崇められていたと云います。

おみやげ品が豊富に揃う仲見世通り

おみやげ品が豊富に揃う仲見世通り
仲見世通りは「雷門」から「宝蔵門」へと続いてる長さ約250メートルある浅草寺の表参道で、両脇に90店以上の「おみやげ品やグルメが豊富に揃う」商店が参道の両側に並んでいる「日本で最も古い商店街」の一つです。

下町風情あふれる商店街では、浅草きびだんご、炭火手焼せんべい、揚げ饅頭などのグルメを食べることができますが、2017年からの仲見世通りでは「一部では食べ歩きが禁止」になっており、指定のスペースか迷惑にならない場所で食べることが出来ます。

浅草寺の「おみやげ品」には雷門に由来し、家を「おこし」、名を「おこす」といわれてる縁起物の「雷おこし」や、浅草寺の五重塔や雷神様を型どった「人形焼き」といった名物の菓子類や、外国人観光客が喜びそうな「帯」や「かんざし」などの江戸情緒あふれる商品が人気がありオススメとなっています。

仁王像が奉納されている【宝蔵門】

仁王像が奉納されている【宝蔵門】
仲見世通りから本堂に向かう途中には雷門と同じような赤い提灯に「小舟町」と書かれ両端に仁王像(金剛力士象)が奉納されている「宝蔵門」があります。

初代の門は942年(天慶5年)に建立され、江戸時代には「徳川家光」の寄贈で建立されましたが、1945年の東京大空襲で焼失し、現在の門は浅草寺の山門としてだけでなく、内部に寺宝を収蔵する宝蔵門として1964年に再建されたものとなります。

両端の仁王像は本堂に向かって左側が物事の始まりを表す「阿形(あぎょう)」右側は物事の終わりを表す「吽形(うんぎょう)」という口元の表情が異なった仁王像が祀られていることから別名で「仁王門」と言われています。

阿吽(あうん)の仲【対となる仁王象】

阿吽(あうん)の仲【対となる仁王象】
阿吽(あうん)は仏教の真言の一つで、梵字において「阿(あ)」は口を開いて最初に出す音(Α)、「吽(うん)」は口を閉じて出す最後の音(Ω)であり、それぞれ宇宙・万物の始まりと終わり表す言葉とされています。

また対となる物を表す用語としても使用され、特に「神社の狛犬」「沖縄のシーサー」など対で存在する像のモチーフとされてきました。

浅草寺は本堂に向かって左側に阿形像、右側に吽形像が置かれていますが、実はこの配置は、日本にある多くの仁王像の位置とは「逆(正式)」に配置されています。

魔を追い払う仁王様の大わらじ

魔を追い払う【仁王様の大わらじ】
宝蔵門の反対側にある仁王様の大わらじは、山形県出身の方が護国の象徴として納められたのが始まりで、本堂から見て左が「男わらじ」で右側が「女わらじ」となっています。

現在の大わらじは800人の方が一か月かけて制作しており、約10年に一度は作りかえ、守護神の力が宿っている、工夫・創造・努力・忍耐・親切・奉仕・融和の「七つの結晶」が編みこまれた「仁王様の大わらじ」が山形県村山市の奉讃会によって奉納されています。

全長4.5mもある大わらじは、仁王様の力を表しており「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくと云われていて、『パワースポット』として、身体健全や厄除けのご利益があるとされています。

秘仏の聖観世音菩薩を祀る【観音堂】

秘仏の聖観世音菩薩を祀る【観音堂】
宝蔵門を過ぎると正目に見れるのが浅草寺の本堂で別名「観音堂」とも呼ばれ、旧本堂は「国宝」に指定されていて、1923年に起こった関東大震災でも倒壊しませんでしたが、1945年の東京大空襲によって焼失してしまい、1958年に再建されました。

浅草寺の本堂へ入る前に「常香炉の煙で心を清めて」からお参りするのが基本で、香閣の煙を身体の悪い部分やこれから良くしたい箇所にあてると良いとされています。

本堂である観音堂は大きな賽銭箱が置いてあり、中央には「秘仏のご本尊聖観世音菩薩」、下段の間にはご本尊の代わりである「御前立ご本尊」の聖観世音菩薩の他に、「徳川家康」「徳川家光」「公遵法親王」などの護持仏であった観音像が安置されています。

本堂の外陣に描かれた3つの天井絵

本堂の外陣に描かれた3つの天井絵
御宮殿の左右には梵天・帝釈天の立像が安置され、ご本尊の脇侍として内陣右奥には「不動明王」、左奥には「愛染明王」が祀られ、御宮殿背後の裏堂の中央には裏観音と呼ばれる「観世音菩薩」が安置されています。

本堂外陣を見上げると「3つの天井絵」があり、中央の絵は川端龍子(かわばたりゅうし) の「龍之図」、左右の絵には堂本印象(どうもといんしょう) の「天人之図」が描かれています。

正面額には「施無畏(せむい)」と書かれてますが、「施無畏」とは「畏(おそれ)無きを施(ほどこ)す」と読み解くことができ、人々の不安や恐怖を取り除いたり、地震などの災害や厄災を軽減される、観音様のおはたらきそのものを意味しています。

住職でさえ見たことがない絶対秘仏

住職でさえ見たことがない【絶対秘仏】
浅草寺は1400年近い歴史をもつ観音霊場ですが、始まりは628年で地元の隅田川で檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)の兄弟が漁をしてる最中に、綱に一体の聖観音像が引っ掛かり見てみると、大きさは一寸八分(約5.5センチ)と小振りでしたが黄金像だったため、兄弟は土地の豪族「土師中知(はじのなかとも)」の元へと持ち込んで祀ってもらいました。

そして約二十年後の645年に、勝海上人という僧が当山に立ち寄って修造したある夜に、上人の夢に観音さまが現れて、「みだりに拝するなかれ」と夢の中で告げられ、この地に観音堂を建立して「秘仏」と定めました。

浅草寺の観音像は、納められた厨子が固く閉ざされており、住職でさえも見たことがない「絶対秘仏」として伝えられていますが、歴代の住職の中には、身を清めた上で厨子の扉を開いた者もいましたが、にわかに目の前が暗くなり、観音像を目にすることができなかった話や、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に役人が無理やり開けようと須弥壇(しゅみだん)に上った役人の一人が突然転落死するという事件も起きています。

浅草寺の絶対秘仏の中身

浅草寺の絶対秘仏の中身
非公式ですが「秘仏」を目撃した報告が複数あって、一人は徳川のある将軍とされ、強引に扉を開けさせたところ、中には「金龍の目貫(日本刀の刀身と柄とをつなぐ針)が入っていたとされています。

また1869(明治2年)に、天皇の勅命によっても開帳され、この時に厨子の奥に鎮座していたのは、奈良時代のものだと思われる「二十センチの青銅の菩薩像」があったそうです。

さらに、矢田挿雲著の『江戸から東京へ〈三〉』(中公文庫)には、廃仏毀釈の役人による臨検事件の直後、住職だった惟雅(ゆいが)僧正は「寺をあずかる身としては、ご本尊の実態ぐらいは知っておかないといけない」と、目がつぶれる覚悟して秘仏を確認すると、秘仏は厨子の中ではなく、その裏板の間に隠された仏像の体内に封じられていました。

その仏像から出てきたボロボロの布切れを丁寧にめくってみると、一寸八分(約5.5センチ)の「白金の聖像」が出てきたとされ、白金(プラチナ)は金とは違い、千七百度の高温まで耐えることができるので、過去の大きな火災の際にもその形を維持しているとされ、現在も世界中の多くの参拝者を見守っています。

浅草寺の都市伝説【おみくじに凶が出やすい訳】

浅草寺の都市伝説【おみくじに凶が出やすい理由】
神社は「おみくじ」の凶を引くのを嫌がる人が多く居るので、全く入れない神社もあるのですが、浅草寺の「おみくじ」は今でも凶が出やすいことで知られています。

なぜ凶を引く確立を変えずにいるかというと、凶には「これ以上運気が悪くならない」という意味にも捉えることができ、一番下から昇り調子に頑張りたい時は「大吉以上の最強の運勢」なので、あえて今も残しているのかもしれません。

(信じるか信じないか「お主」次第でござる)

ライトアップでより美しい【夜の浅草寺】

ライトアップと花火【夜の浅草寺】
浅草寺は2003年から「ライトアップ」が開始され、日没から23:00頃までに普段の景色とは大きく違う「夜の浅草寺」を楽しむことが出来ます。

普段は人が多く賑わっている仲見世通りも19時を過ぎれば、全体的に落ち着いた雰囲気となり、朱色がより美しい「宝蔵門」や「五重塔」も見られるので、人が多い所が苦手な方や、一人旅の方でゆっくりと下町を散策したい方にもオススメです。

浅草寺の観光情報

スポット名】浅草寺(センソウジ)
住所】東京都台東区浅草2丁目3-1
電話番号】03-3842-0181
交通アクセス
(1)東武伊勢崎線:浅草駅より徒歩5分
(2)東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分
(3)つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩5分
(4)都営地下鉄浅草線:浅草駅A4出口より徒歩7分
料金】無料
営業時間】夏季(4月~9月)6:00~17:00 冬季(10月~3月)6:30~17:00
定休日】年中無休
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浅草寺の地図情報

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