
青森県にある日本最大級の縄文遺跡で『世界文化遺産』にも登録されてる「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」は、縄文前期中頃(約5900年前)から縄文中期後半(約4200年前)までの1700年間も自然と調和して平和に繁栄していた大遺跡で、公開されている場所だけで約5万平方メートルもある広い敷地には、三内丸山遺跡のシンボルである「六本柱の大型掘建柱建物」や日本最大級の竪穴住居である「大型竪穴建物」を中心に、15棟の竪穴住居や3棟の高床建物等の縄文遺跡が復元されて見学することもできます。
国の特別史跡にも指定されている「三内丸山遺跡」には、重要文化財約620点を含む総数約1700点の遺物を常設展示してる「さんまるミュージアム」もあり、各時代の縄文土器や石器などの道具や、各地の遠方から運ばれたとされる翡翠(ヒスイ)や黒曜石、琥珀(コハク)などの鉱物の展示、約5500年前に高度な技法で作られた重要文化財の「縄文ポシェット」や「大型板状土偶」等も展示されてる見所が多い観光スポットで、現代日本にも受け継がれる日本の源流とされる16500年前の「縄文の心」を今に伝える博物館です。
『世界文化遺産』に登録された三内丸山遺跡

令和3年(2021年)の7月27日に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が『世界文化遺産』に登録されましたが、対象となったのは、北海道・青森県・岩手県・秋田県の4道県に点在する17の構成資産(および2つの関連資産)が日本の先史時代を代表する文化遺産として世界的に高く評価され国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されました。
全17の遺跡からなる各エリアの構成資産は
「北海道エリア」で、入江貝塚・高砂貝塚(洞爺湖町)、垣ノ島遺跡(函館市)、大船遺跡(函館市)、北黄金貝塚(伊達市)、キウス周堤墓群(千歳市)、関連資産で鷲ノ木遺跡(森町)の6遺跡、「青森県エリア」は、大平山元遺跡(外ヶ浜町)、三内丸山遺跡(青森市)、亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)、田小屋野貝塚(つがる市)、二ツ森貝塚(七戸町)、小牧野遺跡(青森市)、大森勝山遺跡(弘前市)、是川石器時代遺跡(八戸市)、関連資産で長七谷地貝塚(八戸市)の8遺跡、「岩手県エリア」で、御所野遺跡(一戸町)の1遺跡、「秋田県エリア」で、大湯環状列石(鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(北秋田市)の2遺跡を合わせた17の縄文遺跡で構成されてます。
この17の縄文遺跡の中でも現在最も有名で、縄文遺跡の代表とも呼ばれるのが青森県にある「三内丸山遺跡」で、同じく青森県にあって『世界遺産』に選ばれてる16500前の世界最古級の縄文土器が発見された「大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)」が縄文時代の始まりで、その後に各地に移動して長く定住する知恵と工夫を携えて最も繁栄したのが「三内丸山遺跡」とされ、その存在は江戸時代から知られていましたが、本格的に調査されたのは1992年から開始されて、1994年に直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり大型建物の跡だと考えられたため、野球場建設の予定を中止して遺跡の保存が決定されました。
日本最大級の弥生時代の環壕集落跡である「吉野ヶ里遺跡」よりも5000年もさかのぼる縄文時代に巨大な木柱が存在していたことで、縄文時代にも吉野ヶ里遺跡をしのぐほどの巨大な建造物が存在した可能性があるため調査が続けられて、調査の結果、大型掘立柱建物跡、大型竪穴建物跡、環状配石墓、道路跡、竪穴建物跡、捨て場や盛土、土坑墓、埋設土器などが発見されて、中でも直径1メートルのクリの木柱の「大型掘立柱建物跡」と長さ約32メートル、幅約10メートルの「大型竪穴建物跡」の発見は、当時の縄文人の建築技術の高さを示すものであり、1997年に国の「特別史跡」に指定されて、2021年には日本の縄文遺跡としては初めての『世界文化遺産』に登録されました。
日本最大の縄文遺跡【三内丸山遺跡】

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、現在でも調査が進んでいる総面積が約42万平方メートルもある「日本最大の縄文遺跡」で、青い海と青い森に支えられた広大な土地は公開されている場所だけでも約5万平方メートルもあり、縄文時遊館の近くにある「北彩館」の中には、三内丸山遺跡にちなんだ縄文グッズや工芸品等の土産品を買うことができる「あおもり北彩館 三内丸山店」や縄文人が食べたとされる食材をメニューに多く取り入れ、食を通じて縄文時代を感じられる「れすとらん 五千年の星」が入場券なしでも利用できます。
入場券が必要な「縄文時遊館」の有料エリアには、三内丸山遺跡から出土した総数約1700点の縄文遺物を常設展示してる「さんまるミュージアム」や、地下にある部屋には、高さ6メートル、幅18メートルの壁面に5120個もの縄文土器の欠片がちりばめられてる「縄文ビッグウォール」とガラス越しにある実際に発掘された「六本柱の欠片」や、約500個の縄文土器が一堂に収納された展示を見学できる「一般収蔵庫」があり、縄文時遊館の外にあるエリアには、広大で自然豊かな三内丸山遺跡の「縄文ムラ」と「ピクニック広場」の2つのエリアがあります。
「縄文時遊館」の有料エリアに行くためには、巨大な縄文土器が目印の「チケット売り場」で入場券を買う必要があり、外エリアにある三内丸山遺跡を含む常設展の入場料は「一般は500円・大学生等は250円」で、高校生以下の方は「無料」で入場できて、三内丸山遺跡の近くにある「青森県立美術館」の当日有効のチケット半券を提示すると「一般は400円・大学生等は200円」に割引されます。
自然と調和する縄文ムラ【竪穴建物跡】

縄文時遊館の外エリアにある三内丸山遺跡の「縄文ムラ」と「ピクニック広場」に行くためには、三内丸山遺跡ジオラマの奥にある「時遊トンネル」を抜けた先で、自然豊かな外エリアにある三内丸山遺跡に行く道中には、縄文ムラを見学する前に見るのを推奨されている「縄文シアター」があり、上映時間8分で三内丸山遺跡の基本情報が分かりやすく上映されていて、三内丸山遺跡ジオラマの先にある時をかけるような広大な「時遊トンネル」内の壁には縄文土器の欠片がちりばめられています。
過去にタイムトラベルしたような「時遊トンネル」を抜けた先には、五千年の時を超えて語り始めた三内丸山遺跡の自然豊かな光景が広がり、右側の道は「ピクニック広場」で、左側の道の先には三内丸山遺跡の「縄文ムラ」があり、三内丸山遺跡では縄文の人々が1700年間も平和で自然と調和して定住暮らしていたと思われる竪穴建物(住居)跡や掘立柱建物跡(高床倉庫跡)が多数発掘されています。
5000年前は現在よりも平均気温が2~3度ほど温暖な気候で、栗などの森林資源が現在よりも豊富にあり、三内丸山遺跡の「竪穴建物跡(たてあなたてものあと)」には、茅葺き(かやぶき)・樹皮葺き(じゅひぶき)・土葺き(つちぶき・どぶき)の3種類の屋根を持った5000年前の住居を想定して復元されており、円形でつくられた各竪穴建物跡の内部は見学が可能になっています。
原始神道や結界の源流【掘立柱建物跡(高床倉庫跡)】

縄文時代の信仰は「アニミズム(自然信仰)」であり、自然物(山、川、木、岩)や動植物から自然現象など森羅万象の全てに神性を見出す「八百万の神」の源流とされ、土偶や巨石を用いた祭祀を通じて自然や精霊を敬う精神は、後の日本固有の宗教である神道(古代神道・原始神道)の根幹になっていますが、古代アイヌ語で神や高位の霊的存在を指す言葉の「カムイ」や、自然界の動植物や火、風、水、土などに魂(精神や意思)が宿るとされる縄文人の信仰と、仏教や東洋哲学の「一即多・多即一(いっそくた・たそくい)」との多くの共通点があることが指摘されています。
青森湾に注ぐ沖舘川(おきだてがわ)の右岸台地上にある「三内丸山遺跡」の三内(サン・ナイ)は、古代アイヌ語のサン(前に開けた)ナイ(沢や川)が地名の語源とされ、約5500年前の時代では「縄文海進」と呼ばれる地球規模の温暖化により海面が現在よりも5メートル程高かったとされ、三内丸山遺跡のすぐ近くまで青森湾の入江が入り込んでいて、森羅万象の中でも海の幸など豊かな恵みを与えてくれる「海」や、生命の根源でもある水が現在でも流れ続けてる沖舘川などの「海や川」が最重要視されていたと考えられています。
同じく山の幸である山菜や木の実から木材資源や燃料などの恵みを与えてくれる「山や森」も重要視され、三内丸山遺跡で複数棟が発見されてる「掘立柱建物跡(高床倉庫跡)」は、クリやクルミなどの木の実や貴重な食料を湿気やネズミ等から守って長期間保存するための倉庫だった説や、道路の両側に「結界」で護るように向かい合って列状に並んで副葬品として翡翠(ヒスイ)のペンダントが出土した例もある「大人の墓(土坑墓)」が高床倉庫跡の近くにあることから、葬儀や埋葬に関わる重要な施設だった説もあります。
三内丸山遺跡のシンボル【六本柱の大型掘建柱建物】

三内丸山遺跡のシンボルである「六本柱の大型掘建柱建物」は、1994年に発見された4500年前の巨大木柱で、六本柱の大型掘建柱建物は、円の直径が2メートルの柱穴に、直径1メートル、高さ14.7メートルの巨大木柱6本で復元されていて、現代の5階建て位の高さもある巨大木柱は、発見当初はトーテムポールか建造物かで意見が分かれていましたが、円状の柱が意図的に内側に2度傾むかせて、柱が倒れにくいように複数の工夫された構造になっていることから現在では建物説が有力視されています。
当時は屋根もあった説もある「六本柱の大型掘建柱建物」が建てられた理由は現在でも正確な目的が判明してませんが、柱は天と地をつなぐ神柱を示すことや、4500年前の三内丸山遺跡は現在より海面が高く海岸線に近かっため灯台や物見台の役割をはたしていた説や、縄文神道を思わせる太陽を拝むための神殿で、高い神殿の上に姫巫女が上って祭祀の指揮を取って朝日を拝んだ祭祀の場や、月や星を観察する天文観測施設だった説など様々な説が提唱されています。
複数ある説の中でも最も歴史ロマンがあるのが「縄文時代の太陽カレンダー」だった説で、柱の主軸の向きが太陽エネルギーの転換点である「夏至の日の出」や「冬至の日の入り」の方向と関係があり、1年で最も昼が長い日で太陽のエネルギーが最高潮に達する転換点の「夏至(げし)」と1年で最も夜が長い日で月や星が最も長く輝いて、太陽のエネルギーが戻ってくる転換点の「冬至(とうじ)」の太陽の位置を見て、季節の境目を理解する目安や祭日を大型掘建柱建を中心にして盆踊りのように皆で祝っていた説です。
六本柱の大柱穴【大型掘立柱建物跡】

六本柱大型掘建柱建物の裏にあるドームの中では「大型掘立柱建物跡」が実際に自身の目で見学することができ、この建物跡は、円の柱穴が3個ずつ2列に配置されていて、円状の柱穴も直径深さ約2.2メートルと巨大で、柱間は芯から芯までが全て4.2メートルの一定間隔で作られており、4500年前の当時から高度な測量技術があったことを示しています。
直径深さ約2.2メートルの円状の柱穴の中に直径約1メートル、高さ14~23メートルの巨大なクリの木柱が建っていたと推定されていて、地下水が豊富で空気に触れにくかったことや、縄文人が腐敗防止の知恵で柱の底や周囲を焼き焦がしていたことで、奇跡的に直径1メートルのクリの木柱の根元が腐ることなく現在に残されていました。
柱間が全て4.2メートルと一定の理由は、縄文人の腕の長さを基準とした「縄文尺35センチ」を元に、35センチを12倍で測量した数字が4.2メートルだったとされ、この縄文尺35センチは高床倉庫跡にも使用された痕跡があり、他にも永続した定住が可能になった縄文人は簡単で初歩的な農耕も手がけていたことも分かっていますが、当時の三内丸山遺跡の周辺には豊富なクリ林があり、クリの果樹栽培(農業)も行われていたと考えられていて、クリは食料として重宝するだけでなく、クリの木材を建築資材や燃料としても大いに活用されてました。
日本最大級の竪穴住居【大型竪穴建物】

三内丸山遺跡では長さ10メートル以上の大型竪穴建物跡が10棟以上、一般的な竪穴住居跡が約780軒も発見されていますが、その中でも最大なもので長さ32メートル、幅10メートルの「大型竪穴建物」で、復元された日本最大級の竪穴住居である「大型竪穴建物」は、一般的な竪穴住居のおよそ20倍で、場所が集落の中心に近いことから集会所や共同の作業所として利用されていたと推測されています。
最大500名ぐらいが同時に生活していた三内丸山遺跡は、大型集落と言うよりも都市のようなイメージと語られ、旧石器時代の人々は日々狩りに明け暮れて拠点をいくつか作り移動してましたが、縄文人は移動しなくても生活できる定住のための知恵と技術を身につけてから、日々の暮らしの生活が大きく様変わりしました。
縄文人の1日は、夜明けとともに起きて日没後に就寝する生活で、太陽が昇ると、まずは火を起こして暖房や炊事の準備のために必要な火力を確保してから、湧き水や綺麗な川などの水源に水を汲みに行き、午前中から午後の早い時間帯に狩猟・採取・漁労などの食料調達に励んで、狩猟は男性が採取は女性が主に担当したとされて、一定年齢(推定5歳)を超えた子供は狩猟・採取に一緒に同行して技術を吸収しながら身に着けていました。
大型竪穴建物跡の内部

日本最大級の竪穴建物跡の内部は、90坪(約300平方メートル)もあって、300人程が集まることができる広い敷地で、大型竪穴建物跡には、木で作られた階段や円環状に石で囲われた囲炉裏(炉)も再現されており、縄文人にとって「火」は「水」と同じぐらい日常生活には重要なものであり、土器を使った炊事や暖房、照明など様々な用途がありました。
縄文人の食事は、春は山の幸であるフキノトウやノビル、ワラビ、ゼンマイ等の山菜や昆布やアサリ、ハマグリ等の貝類を採取して、夏は海の幸であるサバ、イワシ、アジ、タイ、マグロ、サケ等の海や川の漁猟を中心に、秋にはドングリ、クリ、クルミ、ノブドウ等の木の実をとり、冬から春にかけては、シカ、イノシシ、ウサギ等の狩猟を行い四季の変化に合せて季節ごとに旬の食材を選び、また保存することで、想像以上に豊かで安定した生活を送っていました。
縄文人の一日は稲作の労働時間よりも短かったと推測されてますが、冬に備えて保存食を作る秋が一番忙しい季節で、三内丸山遺跡ではシカ、イノシシが少なくて、ノウサギやムササビの肉を食料としていたと推察されていて、縄文人の主食はドングリで、アク(タンニン)を除去するのに手間がかかりましたが、炭水化物、タンパク質、食物繊維が豊富な食材で、採取したドングリは穴を掘って貯蔵していました。
縄文ポシェットを展示【さんまるミュージアム】

縄文時遊館の内エリアでは、三内丸山遺跡から出土した国の重要文化財の約620点を含む総数約1700点の遺物を常設展示してる「さんまるミュージアム」があり、三内丸山遺跡からは、縄文人の暮らしが分かる出土品が多数発掘されていますが、その中でも各時代の縄文土器や石器などの道具、装身具などの縄文人の暮らしに関わるものから、各地の遠方から運ばれた地球の欠片とも呼ばれる翡翠(ヒスイ)や黒曜石、琥珀(コハク)などの鉱物から、縄文人が食べていたとされる動物や魚の骨など総数約1700点が「さんまるミュージアム」で常設展示されています。
入口にあるタイムスケールトンネルを抜けた館内には、右側に縄文時代から愛されてる大切なパートナーの「犬」や「縄文人」の人形を使った、三内丸山遺跡の竪穴建物内での生活の様子などを分かりやすく再現して解説する「縄文人のくらしをひもとく」コーナーがあり、左側には重要文化財の「縄文ポシェット(編籠)」「大型板状土偶」を中心に「クリの大型木柱」「ヒスイ製大珠」などの重要文化財約620点を含んだ総数約1700点の出土品を展示する「縄文のこころ」コーナーがあります。
その数ある出土品の中でも代表的なものに重要文化財の「縄文ポシェット(編籠)」がありますが、縄文ポシェットは約5500年前のものとされ、ヒノキ科の針葉樹の内樹皮で袋状に編まれた、高さ約16センチ、幅約10センチの編籠で、縦横のヒモの色を変えて、波のような模様を出す「波状網代編み」で作られ、縄文人が使っていた高度な技法が現代の工芸にも使われる「網代(あじろ)編み」だったことや、奇跡的に原形をとどめて発見された籠の中にはクルミの殻が1個入ったまま見つかり、約5500年前の縄文人が木の実を入れて持ち歩く平和な日常の風景を今に伝える「縄文時代と現代をつなぐ遺物」として注目を集めています。
縄文時代の始まりを示す土器

現在日本にある最古の遺跡は、約12万7000年前から7万年前の石器が発見された、島根県出雲市多伎町にある「砂原遺跡(すなばらいせき)」や約4万2300年前の現在日本列島最古とされる多数の石器が出土した、広島県廿日市市にある「冠遺跡(かんむりいせき)」ですが、日本最古の縄文土器が発見されたのは、約1万6500年前から約1万5000年前の無文土器が発見された、青森県東津軽郡外ヶ浜町にある「大平山元Ⅰ遺跡(おおだいやまもといちいせき)」で、縄文時代の始まり示す重要な遺跡とされ、三内丸山遺跡と共に『世界遺産』にも登録されています。
旧石器時代と縄文時代の決定的な違いは「土器」を使用していたことで、土器はドングリやトチの実などのアク(えぐみ)の強い木の実を食べられるようになったり、気に入った土地に居座ることで創造性豊かな重い土器を作り、煮炊きによる煮沸効果で衛生面が向上して、保存食を作って貯蔵することで、旧石器時代の時のように常に食糧を求めて移動しなくても生活できる長期的な定住が可能になりました。
実際に「縄文人のくらしをひもとく」コーナーで展示されてる「円筒下層式の土器」は、手前に展示されてる実用的な「円筒下層式前半の土器」から、上段に展示されるごとに「円筒上層式後半の土器」に時代が変わってくると、道具としては不便になってしまう創造性豊かで技巧を凝らした縄文土器を作るようになり、これは縄文時代の人々が高い精神性で大きな争いもなく、暮らしの工夫と知恵を向上させて、食料に困らず時間的にも余裕があったからこそ作られた代物だったことが分かります。
呪術の源流を示す縄文土偶

現在累計発行部数が1億5000万部以上で世界的にも人気のある『呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)』は「呪い」をテーマにした漫画でも知られていますが、「呪い」には「のろい」と「まじない」の二つの読み名があり「呪い」には「呪詛(じゅそ)」のような特定の人物や物事を恨んで苦しめる悪意あるものから、「まじない」のように人々の災厄や災害を軽減回避して日々の安寧や恵みを願うものがありますが、この「呪い(まじない)」の方の源流は縄文時代にさかのぼるとされています。
縄文時代の昔から山、海、森、川などの四季を通じて変化をみせ、山の幸や海の幸など豊かな恵みを与えてくれる自然を大切にしてましたが、自然には豊かな恵みを与えてくれる側面と、時には地震や津波などの災害や災厄をもたらす恐ろしい側面もあり、この人知を超えた「恵み」と「災厄」の二つの側面を第六感で理解していた縄文人たちは、今の大切さや自然への感謝の心を忘れずに「まじない」として祭祀や土偶等を通じて祈ってました。
他にも縄文時代は「円の発想」を大事にしていて、円を好んで集落の中心にも円形の広場を配置して、円形でつくられた竪穴住居で長い間生活をしていましたが、これは全ての物を「かけがえのない霊魂を持つ平等なもの」と考えて、自然や他者と調和・共生しようとする日本人の根底にある縄文の高い精神性を表していますが、大陸から伝わった弥生時代以降からは、土地を区切り、上下関係を作り、自然や人を支配・管理しようとする「区分の発想」へと変わってしまいました。
縄文の心を受け継ぐ人々のゆくえ

三内丸山遺跡は、縄文前期中頃(約5900年前)から縄文中期後半(約4200年前)の1700年間という世界の歴史上でも類のない長期的に平和で豊かな時代が続いていましたが、縄文中期後半に起きた急激な気候などの変化によって日本列島の気温が2~3度低下する寒冷化が発生して、主食だったクリやクルミなどの植物資源が減少し、海岸線が後退して海産物も減ったことで、縄文の人々は生き残るために集落を分散・移動する必要がある状況になりました。
その後の三内丸山遺跡の縄文人の行方は、『出雲口伝(いずもくでん)』や『記紀』等から照らし合わせていくと、古代インドから錬金の技術を持ち、縄文人と同じ争いを好まない「クナト族」が縄文中期後半(約4200年前)に来て三内丸山遺跡の縄文人と和合して、出雲地方を拠点に原始神道の「古代出雲王国」を形成していきましたが、その後に大陸から来て「大和政権」を樹立した天孫族との抗争に敗れて「国譲り」を経て、権力を失い東北地方や関東地方などに追いやられ、その後「日高見国」を形成してた縄文人の「蝦夷(エミシ)」と呼ばれる人々と和合していきましたが、この縄文の心と血統はその後に、蝦夷とレビ族の両方の血統を継ぐ「弘法大師・空海」や「慈眼大師・天海」などの高僧達や、武士団と忍者の源流として受け継がれていきました。
あわせて縄文中期後半に来た古代インドの海人族でもあった「クナト族」との和合を拒否した人々は、北海道や山形県などに移動して、縄文神道を受け継いだ山岳信仰の「山の民」となり、その後、たびたび弾圧されていた山の民たちを助けて、縄文人が信仰してた縄文神道や山岳信仰を引き継いだ「役小角(えんのおづぬ)」の修験道となり、その血統と意志を受け継いだ「縄文サンカ」と「武士団」によって260年以上の平和が続いた「江戸時代」が築かれましたが、西洋に操られた明治維新で再び弾圧されて、「原始神道」や「陰陽道」と共に封印されて「縄文の心」は次第に忘れ去られていきました。
かつて46億年の歴史がある地球で1万年以上も平和が続いて、美しい川や自然の恵みが豊富で、必要な分だけを採取するお金のいらない生活環境で、身分の差も少なく、知恵と技術を向上させて皆が助け合って生きていた「縄文の心」を継いだ人々は、西洋化した明治時代を境に急激に失われていきましたが、日本人の根底にある縄文の高い精神性は世界を魅了する漫画、アニメ、ゲーム、音楽、映画、書籍などのクリエイターを中心に受け継がれて、現代に甦った遺跡と遺物と共に五千年の時を超えて今と未来に語り続けています。
旅行の達人の観光ガイド
三内丸山遺跡の観光所要時間は、さんまるミュージアムを含めても「2時間以内」で全部拝観することができますが、土偶作り等を実際に体験できる「体験工房」や三内丸山遺跡の近くには「青森県立美術館」等もあり、一日中楽しめる観光スポットになっています。
無料エリアの「北彩館」の中にある「れすとらん 五千年の星」では、縄文時代から食べていた栗を使用した五千年の星限定のソフトクリーム「ソフト栗夢」や、古代米(赤米)を使用したビタミン・ミネラル・食物繊維が豊富な「縄文古代飯おにぎり」等も食べることができます。
三内丸山遺跡周辺にある他の観光スポットは、三内丸山遺跡から徒歩10分程の場所にある「青森県立美術館」で、館内には巨大な犬の立体作品である「あおもり犬」や、八角形をした煉瓦の建造物の中に巨大なブロンズ像《Miss Forest/森の子》の立体作品である「八角堂」、その「八角堂」を見渡しながら青森県の食材を生かした食事やスイーツも食べられるカフェ「4匹の猫」等があり、五感を超えた第六感が磨かれる空間で充実しています。
三内丸山遺跡の観光情報
【スポット名】三内丸山遺跡
【住所】青森県青森市大字三内字丸山305
【電話番号】017-766-8282
【交通アクセス】
■青森駅前より青森市営バスで約30~40分
(青森駅前にある「⑥青森市営バス乗り場」から乗車して30~40分後の「三内丸山遺跡前」で下車)
■青森駅西口より「ねぶたん号(シャトル・ルートバス)」で約30~40分
(青森駅西口にある「②番のりば」から乗車して30~40分後の「三内丸山遺跡前」で下車)
【料金】一般は500円・大学生等は250円 高校生以下は無料
【営業時間】9:00~17:00 ゴールデンウイーク中と6月1日~9月30日は18:00まで開館
(入場は閉館の30分前まで)
【定休日】毎月第4月曜日(祝日の場合は翌日) 12月30日~1月1日
【ホームページ】公式サイトfa-external-link








